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追いはぎ的なJASRAC

http://plaza.rakuten.co.jp/ginganohotori/diary/

簡単な経緯を書くと、些細な音楽活動をしていたお店に
JASRAC著作権料金払えと来た話。(6/30 日記参照)

暴力団のミカジメ料より酷い言いがかりだと思いました。
一番おかしいと感じたのは、裁判の辺り。

著作権にかかる曲をやっていないことを立証できないでしょう?」

まてまて。
裁判っていうのは、起訴した側が証拠となる物を調べて起こすものじゃなかったか?
過去、医療ミスで死亡した人が病院を起訴するために、非常に苦労していた話を聞いた事があります。
まずカルテの入手からスタートして当時の記録を遡り、そこに医療的判断ミスや
投与した薬が間違っていたという事を起訴した人が調べなくてはいけなかったとありました。

話を戻すと、JASRAC裁判を起こした場合、証拠となる
JASRACが管理している曲が演奏されているか否か」はJASREC自身が
提出しないといけないはずです。
JASRACの言い分って「やっていた可能性があるから金出せ」ですよね。
これって恐喝と何が違うんでしょうね。俺俺詐欺の手口と変わらないと思うのですが。
そもそも、JASRAC自体が文化庁天下りの腰掛け会社ですからね。
昔調べた事があるんですが、確かここの理事長が1500万くらいなんですよね。給料。
何もしないで、2~3年勤めて別の会社に天下るわけですが。
オマケに徴収した金の使途も不明なんですよね。
話に聞く限り、アーティストにも殆ど還元されていませんし。(実話)

話がそれましたが、著作権が存在する曲を商用利用したなら、その分だけ納めればいいはずです。
JASRACが概算で出した請求書には、なんの法的根拠も無いわけです。
著作権のないものに限るという主張ができない理由はなんですか?
それをお店が証明できないから?
馬鹿らしい。JASRACが起訴したいなら、著作権のある曲が演奏された事実と回数を調べてこいって。。
悪しき前例を作らないためにも、JASRACには毅然とした態度で臨んで欲しいものです。

– 以下、個人的感情 –
個人的に法の影に隠れたこの会社って大嫌いです。
自分がホームページで公開していたMIDIファイルも消しましたし、
それ以来、曲自体作っていません。
趣味でやってる人って、聞いてもらえる事が一番嬉しいんですよ。
それを「文化を守る」なんていう建前で排除する悪辣さ。

商売としてやっているならそこに如何な理由があれ、ある程度の出費は必要だと思う。
が、しかし今回の場合は概算の度合いが強すぎ。
なんか、JASRACって時代劇とかにもよくある、病床の母のふとんを引っぺがして持ってくって感じ。

ところで、アーティスト自身がこういう施設で自分の曲が演奏された場合、どう思うのかな・・・
俺の曲だ!金よこせ!って思うのかな。
自分だったら喜んで楽譜の提供したいし、一緒に演奏して楽しみたい。
それが文化ってものだと思うんだけど・・・JASRACの文化基準はお金なのよね。

「追いはぎ的なJASRAC」への14件のフィードバック

  1. 素晴らしい,完璧な意見を拝見し、世の中にまだまだまともな感性と勇気
    を発表する人がいると思うと、生きる力が湧いてきます。
    それにひきかえ、残念なのは当事者の有馬さんのコメント。
    選ばれて旗を揚げた人が、海千山千の経営者相手に苦労してきたんだろう
    などと、敵に理解を示す振りをするコメントをするとは。もっと自分の
    役割と可能性を想像できる人だと思っていたのですが。想像できなくて、
    創造できるわけはなく、今からでも、おそいかもしれないけれど、もう
    一頑張りしてほしいと思います。一牛(いちぎゅう) 拝

  2. ご意見、ありがとうございます。
    一貫してJASRAC嫌いを前面に押し出した文章なので読む人にとっては
    不愉快であろうと思っていました。
    一牛さんのようなコメントをいただけるのは嬉しい限りです。
    自分は当事者ではないので、当事者の有馬さんの気持ちを察する事は
    できません。
    ただ外野の意見としては、「正しい事を主張しない悪しき前例」には
    なって欲しくないと思っています。
    おそらく、有馬さん自身の心労も凄まじいものと思います。
    ここは負けじと頑張って欲しいものですね。

  3. 大変に申し訳ございませんが、一牛さんは私のページを見て感想をくださいました読者様です。私は直接の関係者ではございませんので、連絡を取りたくても取る事はできません。
    お察し下さいます様、お願い致します。

    ただ、一言付け加えさせていただくなら、余りにもあけすけなご依頼ではございませんか?端的な文章では無く、どの様な理由でご連絡を取りたいのかくらいは申し伝えるべきかと思われます。私がもし関係者であるなら、この様な怪しい依頼をほいほい信頼して当人に連絡を取りません。

    インターネットでは自分を証明する事が大変難しいです。今後はメールなりで、まずは自身の事と連絡を取りたい理由を付け足してから、ご依頼された方が宜しいかと存じます。

  4. 今頃の書き込みで、すみません。
    今日、はじめてこちらの一牛さんの書き込みを拝見しましたので・・・。
    著作権問題につきましては、このように、たくさんのかたがHPでとりあげてくださって、結果的に、JASRACを改善の方向に向かわせる力となっていると思います。

    銀河のほとりも、現在は演奏の度に曲目ごと支払うことができるようになりました。本当に、たくさんの方の、『知る力』のおかげで、包括契約以外のひとつの前例ができたわけです。

    あの一件を、公表すること自体、厳しい検閲?やご意見などの大きなリスクを覚悟のことではありました。お店の所在地などものせてます。逃げも隠れもできません。
    家族で相談のすえ、裁判沙汰という手法はとりませんでしたが、 かみらさんのおっしゃるように『喜んで』音楽を分かち合おうとしている方が、音楽の自由をうばわれてしまわないように、音楽活動なども再開させていただいています。
    一方、音楽家としてご苦労されて来た方が、やっと著作権の恩恵にあずかることができ、嬉々としているのも目の当たりにしました。そのような方の権利もまた護られるべきものと思います。

    私も、かみらさんの仰るように、商売として、支払可能な 納得できる金額で払わなければならないものは払うべきと思っています。また、そのようなお金の流れは、もっと透明性があってしかりだとおもいます。

    一牛さんとは、面識がありますので、このように時がたって、書き込みを拝見しますと、なぜ、直接ご意見がないのか不思議に思います。
    また、担当者一個人を敵と認識していらっしゃることにも正直おどろいています。

    実は、一牛さんには、『大陸の伝説』シナリオ賞のお祝いと、昨日入手して読んだこの本に感動したことのメールを差し上げたくて お名前の検索で、こちらへうかがいました。野口英世のいきざまを より生き生きと感じ、かくされた真実に「そうだったのか!」とうなってしまいました。
    みなさんも、機会がありましたら、ぜひお読みください。

    かみらさん 長々と、書き込みまして、本当に失礼致しました。
    著作権について、他にも納得できない世の中のこと、またなにかありましたら、どうぞ、おしらせください。私も、一緒に考えさせていただきたいとおもいます。  おりがとうございました。

  5. よく考えたら、私の勘違いかもしれません。
    私の知っている一牛雄司さmっまら、やはり直接意見してくださる方です。

    きっと、同姓同名の方ですね。

    おそらく、星亮一さんも、そうおもっておられるのではないかとおもいます。

    かみらさん、本当に、ごめいわくおかけしてすみませんでした。

  6. 初めまして、管理人のかみらです。
    ちょうど、この話題を取り上げてから1年近い月日が流れようとしています。
    ネット上で大反響を得てしまった話題のために、有馬様にも相当な苦労があったのでは無いかと容易に想像できます。
    しかし、その後納得できる形に落ち着き始めていると知り、この話題を取り上げた自分と致しましても、大変に嬉しく思います。

    一牛様の件は、私にはよくわからないので、お気になさらないでくださいませ。あくまでビジターとして、いち意見を頂いた事に過ぎない話です。

    もし近くまで行ける事がありましたら、是非寄らせていただきたいと思います。これからも頑張って活動を続けてくださいませ。

  7. かみらさんありがとうございます。
    本当に、このように皆さんが、取り上げてくださったおかげだとおもいます。

    福島県も猪苗代湖や、鍾乳洞に温泉・・・
    素敵なところがたくさんありますよ。

    ほんとうに、機会がありましたら、ぜひおたちよりください。

  8.  このメールが届きますか?
    以前、著作権協会への批判に対し、賛同の意見を寄せた一牛雄司です。
    この名前は本名で、批判には社会的な意義があると考え、責任上実名で意見を寄せました。その後書き込みができませんでしたが、先日新しいフォームになっていたので、またトライしてみましたがどうでしょうか。
     そのとき事例になった有馬さんは、よく知っている方ですが、著作権の事件は、個人の問題を超えていると判断し、直接は意見を話していません。ただ、勇敢な方なので、泣き寝入りはしないで欲しいと期待しました。しかし想像を絶する執拗さだったらしいですね。それでも今もあきらめずに音楽家の支援活動を再開しているとのことで、しかも曲目ごとの個別の計算で支障なく支払いをしているとのことですから、あの著作権協会相手に粘り勝ちといえるでしょうか。ひとまず良かったです。
     さて、私の意見はこのサイトの主催者の方と同様に、義憤から発しています。単なる共感からではなく、実際にボランティアの音楽会を主催したときに、同様の請求をされた経験がありました。そのときこの団体は、建前はともかく、実際において音楽活動の普及を妨げていると強く感じたのです(続く)

  9. 度重なるご訪問、ありがとうございます。
    あれから1年程経ちましたが、JASRACはまったく変わらず寧ろ悪化の一途を辿っていると感じています。一牛様が実名なのと同じ様に、私もこの自分のページで責任を持って全世界に向けて公開しています。

    正直、JASRACの行動は音楽を楽しむ方々にとって障害であるとしか思えません。音楽の活動はそれだけに留まらず、ある種の文化も一緒に感じる事ができると私は考えます。音楽に国境は無いと言われる所以ではないか、とも思います。

    勿論、使用した分についてはある程度の料金は支払うべきだと思います。これは著作者に対する敬意でもあり、同時にこれからのその方の活動を支えるという意味でも大事な事だと思います。

    でも、そこにJASRACが入るとすべてが事務的に行われてしまうのですね。心が通っていない、そんな気がしてなりません。

    私も一牛様と同じ様に、日頃から音楽を楽しむ一人です。それ故に、JASRACの行為は許し難いものがあると強く思う次第にございます。

  10. 自由に書き込みができて、大変うれしく思います。

    「かみら」さんでよろしいのでしょうか。
    おっしゃるように、協会の担当者の、心のこもらない事務的な対応が、善意の人々を傷つけているのでしょう。
    しかし、そういうお役所体質というものに対し、私はどちらかというと、はなからあきらめの心境でいます。私が腹を立て、その団体の存在を許しがたいと思ったのは、その事務的な対応さえも、ずさんだったからです。つまり体質からいって心無いのは許せるとしても、事務的ですらないという酷い状態を説明するには、からみさんの、いささか過激と思われる「暴力団のみかじめ料より酷い」という言葉以外適切な言葉がないというのが、正直な感想でした。それで汚れ役をお一人にさせては申し訳ないと勝手に思ったわけでした。当事者の有馬さんが知っている人でしたからなおさら。

     私の経験というのは、次の通りです。

     会津若松の鶴が城という城跡で、ある中国人の馬頭琴の野外コンサートを開催しました。寄付金や協賛金で運営する、入場料なしの赤字覚悟のイベントでした。これがどれほどの覚悟で運営されるものなのか、一度主催者の苦労を経験した方には容易に想像できるでしょう。幸い何とか雨に降られず、多くの市民に喜ばれて、多少の赤字もようやく報われた想いでいたときのことです。
    例の不幸の電話が突然かかってきました。
    「あなた、○月×日にコンサートをやりましたね?」
    「ええ、やりましたけど。(なにか悪いことをしたのかな)」
    「曲の演奏の著作権料を払ってください。」
    「えっ、だって入場料はもらっていませんが?」
    「ただでもだめです。料金表を送りますから、必要事項を書いて送り返して 下さい」

     寝耳に水とはこのこと。赤字分をどうしようかと考えていた矢先だったので、著作権協会っていったい何者なんだという驚きと、こんな田舎にも、だれかが通報するシステムが構築されているらしいという恐ろしさ。
    (ここは旧ソ連じゃないよな)
     不安の日々を待つこと数日で、分厚い封書が到着。料金表を見ると、演奏時間、人数から4,5万円になる。これが有料だったらいったいいくらになるの?これじゃ素人が演奏会など開けないじゃない。それに協会が集めたお金が本当に作曲者や演奏家に渡るという保証は?
     いろんなことを一度に思ったので、おそるおそる電話をかけて聞いてみた。
    「あのボランティアの場合、興行じゃないんだからもう少し安い料金体系 にはなりませんか」
    「だから、入場料なしの場合が書いてあるでしょう」
    「つまり、もう少しまからないかとお願いしているんですが」
    「例外はありません。とにかく払ってください」
    (ああそうですか。そんならに無慈悲なら思い切って聞いてやるぞ!)

    「あの、ほんとに音楽家の手にお金が渡るんですか?相当の部分が協会の  手数料に消えてしまうのでは?」
    「とんでもない。ちゃんと渡していますよ。もちろん規定の手数料はいた  だきますが。」
    (手数料はいくらですか?とは聞かなかった。そのときは今より若く、そ  れほど野暮ではなかったらしい)
    「それではきちんと払ってください(ガチャリ)」
      
     それからは、いよいよ払うしかないかと思い、しばらくお金の工面を  考えていた。ほんとに著作権料を本人に払うんだろうか、払うわけないよな、と疑わしく思いながら。(だってコンサートの彼は、これから中国の内モンゴルに帰るんだし、どうやって送金するんだ?それに彼は自分の曲の分は受け取るにしても、ほかの曲はどうするんだ?中国政府に払うのか?そんなはずないよな。やっぱうそ臭いな。元で送るんだろうか。円だろうか。ドルなら喜ぶかもしれないが)

     ここで終わっていれば、私も著作権協会の悪口をこうして書き込むこともなかったのです。しかし運命の神様は、どうしてもこの書き込みをさせたかったらしい。
    きっと神様は、人間の良心の存在をまだ信じているのでしょう。

     言いようのない悔しさの中で(協会から請求された人は、等しく同じ想いを共有していることでしょう)、パンフレットを眺めながらとりとめのないことを考えていると、ふと、とんでもないことに気づいてしまったのです。
     協会がいかに国際的で、広く著作権の保護に東奔西走しているかをアピールするために、その「捜査権」の及ぶべきたくさんの加盟国を書き連ねてあるページを見て気づいたのです。

     ない!ない!なんと中国がない!

     そのときの驚きと、これほど不安に苦しめられた「頭上の敵」の正体が、
    このような無体な輩だったとは!
     
     さっそく内心得意になって、しかし控えめに電話して真意を正しました。
    「あの、パンフレットをよく見たら、中国は協会に加盟していないようですが。加盟していないということは、私が著作権料を払っても、向こうへは支払われないってことですよね」
     このときも、まだチャンスがありました。なにも事務的でいいから、担当者からしかるべき言葉が発せられたなら、ここにこういう書き込みをすることはなかったかもしれません。ところがしばらく間があって、先方の答はこうでした。
    「そうですか。じゃ、いいです(ガチャン)」
    (おいおい、それはないでしょう。あれだけ人を不安におとしめておいて、 間違ってました、ごめんなさいの一言もないのかよ)

     当時の思いは今も鮮やかによみがえってきます。これをトラウマというのでしょうか。その後恐ろしくってコンサートを主催したことはありません。(ちなみに、中国はその後加盟国になっています。私の一件が動機となった かは定かではありません)

     ここでお願いですが、それは一担当者の資質の問題で、協会はちっとも悪くないないどと、無慈悲なことを言わないで下さい。会社や団体で、担当者が電話口に出るときは、その組織を代表しているのです。その担当者を代えないのだから、その言動はその組織の会社の体質そのものなのです。
     
     かくして、個人的な体験をとても長く書かしていただきましたが、これも同じような苦しみを味わう人が、将来に一人でも減るかもしれないといういちるの望みを捨てきれないでいるからです。
     今の時代は、大衆の情報を統制できるかわりに、いかに強力な組織であっても、一つの匿名の内部告発によって一瞬に崩壊する時代です。いつまでも理不尽がまかり通る時代ではありません。
     インターネットの世界は、人の悪意も善意も区別なく、共に育てるゆりかごと申せましょう。しかし、そこに、勇気や正義感や英知などの、日本社会で死語となりつつある多くの概念が、仮想の現実ででも、復活することがあるならば、その影響が現実の世界に及ばないという保証はありません。 
     神様ならずとも、銀河の果てに旅する私たちは、いつの時代も、わずかの希望も光としたいと願います。「かみら」さんを応援する理由はそこにあります。                                                           一牛雄司 拝

  11. すべて目を通させていただきました。
    何を書くべきかしばらく悩んでいた事と、当方が多忙であったため返信が遅れて申し訳ございませんでした。

    まず、思ったのは、「汚れ役は私ひとりで十分です」という事でした。

    私のは、あくまで外野としての感想です。一牛様の様な当事者ではありません。
    当事者は、起こった出来事に対して正当な意見や感想を述べる権利がありますが、
    私にはその権利はありません。

    だからこそ、自分のブログで好き勝手な事が言えるのだと思います。当事者である一牛様は、もっと強く正当な権利として言うだけの価値があるのではありませんか?
    よって、一牛様は汚れ役などでは無く、正当な権利として主張をされてくださいませ。私のようなものと同列にいてはいけないと思います。

    次に担当という件ですが、私は昔、仕事でコールセンターの業務を請け負っていた事があります。簡単に言えば、サポートセンターの電話番です。
    お客様とお話する場合、自分が社の代表であるという意識を持ってやる事を強く勉強させられました。
    どんな形であれ、お客様はその会社の窓口に電話をかけてきたわけであり、会社とお客様をつなぐのはその電話だけなのです。

    以上の理由で、「自分は請け負っているだけだから責任は無い」というこんな対応には、怒りを覚えます。
    一牛様も同様に思われたのでしょうが、窓口の対応ひとつで印象って大きく違ってくるものですよね。
    最初は不良品で怒りの電話をしたのに、電話で話した相手の印象によっては、「次回もここのを買うか」と思える時もあります。

    結局、社というよりその社を構築する「人」の質が低いのではないかと、JASRACを見て思います。
    会社が創るものは製品だけではありません。そこに属する「人」も創っていると、私は考えます。
    最近は、それを疎かにする会社が増え、利益優先になりつつあるのは寂しい事だと思います。

    話がそれましたが、これからも是非ご活動をされてください。
    後に続く人が頼りにするのは、先人の創った道です。
    先に往くものは、後に続くものの道標にならなくてはいけません。
    私はこれからも泥を被るでしょうが、後に続く者のためにも頑張って、毒を吐き汚れ役にでもなろうと思います。

    長々とお付き合いを、本当にありがとうございました。
    私の拙い意見で、ここまでの反響があるとは思っても見ませんでした。
    今後も、宜しければお付き合いいただければと存じます。

  12. 拝啓 神等さんの誠実なコメントに、心洗われる思いがしました。すべての主催者に発した言葉で、私たちは、いったん意思をもったならば、可能性として後進の目標とならなければいけないのですね。
     よかれと思ってしたイベントが、今も道しるべになっているのでしょうか。朽ちて迷路にいざなう墓標になってはいないか、自問を繰り返すばかりですが、少しでも想い出の中にとどめてくださる方がいるのなら、それは神ならぬ身への一葉の励ましと知って、再び立つ勇気もわいてまいります。
    そのとき外野から届く歓声こそ最高のプレーを引き出す力になるでしょう。
     今後もずっとご活躍を。ありがとうございました。
                                   三拝

  13. ピンバック: MetLog

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