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2023/4 オーストリア訪問記 その1

G/Wには三年ぶりの欧州へ

コロナ禍になり、すっかり海外とも縁遠くなっていました。
しかし昨年のフィリピンでのレース参戦の経験から、コロナ禍への対策やワクチン接種が進んだ事を実感できましたので、とうとう今年は欧州。しかも東欧へと足を伸ばす事にしました。勿論仕事や来年のレースについても色々とやってくる予定です。

搭乗した飛行機については別途搭乗記を書いたのでそちらをご参照ください。

コロナ禍を経た現地の様子

まず、一番最初に感じたのは閉店したお店の量でした。ウィーン市街と言えば観光都市としても有名です。近代に至るまで壮絶な戦地となり、その最中で起こった文化・建築・芸術。様々なものが今も残り、観光資源としては欧州でも上位に入るレベルだと思います。あのモーツァルトが過ごしたの地、という事で音楽でも有名ですしね。

そんな都市部の超一等地が空き店舗の募集だらけ。裏路地に入れば大半の店未だシャッターをしたままという現状に驚きました。やはりコロナ禍において観光産業は申告なダメージを受けていると言わざるを得ません。

とは言え、そこで生活している人達は少しずつ日常を取り戻しているようで、既にマスクをしている方は皆無でした。寧ろ自分達がマスクをしていると、怪訝な目で見られるので今回の旅ではマスクを外して行動しようと決めました。先に結果だけ言うと、2週間滞在後に帰国して検査し数日経っても感染していなかった事は事実として伝えておきます。

但し、だからもうコロナは怖くないとイコールではありません。感染する時は感染するでしょう。ロシアンルーレットみたいなもので、いくら防御してても運悪く感染する事はあると思います。以後はご自身の判断で、マスクする・しない、ワクチンを打つ・打たないを決めればいいのではないかと思います。

いい大人なんですからね。

初日、とりあえず歩く。

レオポルド美術館を背にして、Maria-Theresien-Platz の像の方面に向かって歩いていきます。ここは左右に、ウィーン自然史博物館・美術史美術館があり、その先にはホーフブルク王宮・オーストリア国立図書館と目白押しの場所です。この付近でホテルを取ると、ずっと徒歩で見て回れるのでとても楽ですね。

Maria-Theresien-Platz の像。ハプスブルク家の女帝(厳密には女帝ではないが女傑の名にふさわしい)、マリア・テレジア。オーストリア女大公にしてハンガリー女王・ボヘミア女王と神聖ローマ帝国皇帝の皇后です。ロイセンのフリードリヒ2世とオーストリア継承戦争を戦いましたが、 敗れてシュレジェンを割譲。それでもめけず、外交革命によってフランスと結び、フランス軍、ロシア軍の支援を受けて再び七年戦争でフリードリヒ2世と戦ったりしました。

かの有名なマリー・アントワネットは娘。余談ですが、マリー・アントワネットはフランス革命で斬首されましたけれど、本当はマリー・アントワネットの姉が嫁ぐはずでした。しかし病気で皮膚がボロボロになってしまい破談。その代わりマリーが嫁ぐ事になりました。歴史が変わっていた可能性もありますが、かなり不遇だと思います。マリー・アントワネット。

その後、オーストリア継承戦争で窮地に立たされるもハンガリー議会で演説を行い、貴族達に支持されて復活。この時若干27歳。まさに女傑です。

そんなホーフブルク王宮の近くには馬房があります。ここにはスペイン式宮廷馬術学校があり450年もの間、古典馬術を教えているそうです。この古典馬術はルネッサンス時代に集大成されたそうで、今は行事のイベントや毎週金曜日に乗馬のセレモニーが開催されているそうです。リピッツァーナー種と呼ばれる白馬はまさに圧巻でした。

宮殿から国立図書館、街中へ

宮殿から少し歩くと、オーストリア国立図書館があります。現在は約1,100万点のコレクションを収蔵していて誰でも入れる美術館のような様相でした。勿論オーストリア最大の図書館で、高さ20mのバロック様式で建てられています。

1368年、ヨハネス・フォン・トロッパウの福音書(イエス・キリストのお言葉)が完成した際に、それを納める建物として建てられたのだとか。ちなみに、その福音書はハプスブルク帝国のアルブレヒト公三世が依頼して作らせたのだそうです。

中央の天井に書かれた壁画はこちらも圧巻。どの角度から見ても立体の様に見えました。現在は修復中という事で本も一分移動されていましたが、それでも本好きならば絶対に見る価値がある図書館だと思います。

シシー(エリザベート)博物館の前の広場を抜け、目指すは Demel 。オーストリアといえば、ザッハトルテが有名です。ザッハトルテは、カフェ ザッハーという高級ホテルと併設されたカフェで誕生したのがきっかけ。それをハプスブルク家が大のお気に入りとしてお墨付きを与えましたが、この Demel はそれを独自にアレンジ。これまたハプスブルク家に認められ、ウィーンでザッハトルテを食べるなら「カフェ・ザッハー」か「Demel」と言われるようになったそうです。

そんな Demel はコロナ禍前は予約必須のお店でしたが、コロナ禍を経て予約制ではなくなりました。今では大体混雑時で30~1時間並べば食べられるように。昔は1階で注文したものを2階で食べる様式でしたが、現在は2階に案内されてメニューから注文できます。席数も多い上、回転率も早いので時間があれば是非オススメしたいですね。

ザッハーのザッハトルテは全体的に固めでかつ超濃厚なチョコで包まれています。それに対して、Demel のザッハトルテは比較的柔らかめのチョコで濃厚というよりは芳醇。甘さもザッハーより強く、一緒についてきたホイップと食べると甘さの感覚が変わるという一度で様々な味が楽しめるザッハトルテでした。これに合わせるのはやはりすっきりとした紅茶が良いでしょう。アールグレイ辺りがぴったりだと思います。

腹ごなしに歩く…

目一杯ザッハトルテを楽しんだ後は、ハプスブルガーガッセ通りを抜けてジンガー通りの方へ。特に宛もなくぶらぶらと街中を歩くのも楽しいものです。特にこの辺りは高級ブティックやsouvenir(お土産屋)が多くあり、また人の往来も多い為大道芸人や音楽を奏でる人達を多く見る事ができます。さすが音楽の街。サックスは勿論の事、ハープシコード、アコーディオン、果てはピアノを持ち込んでいる人もいました。ビックリですね。

ちなみに大通りなので、当然押し売りやスリも多いようです。薔薇を無理矢理渡してきてマネーマネー言う老女がいたりします。気をつけてください。

ここは以前と変わらぬ活気を取り戻していたように思います。当然ながら観光客も多かったですが、昔のように中国人の叫び声は無く、ほぼ欧州の人達ばかりでした。日本人もちらほら居たようです。

そんな通りを抜け、少し脇道へそれると教会があります。この辺りの教会で一番有名なのはシュテファン大聖堂ですが、その近くにひっそりと佇む教会「聖ペーター教会」

シュテファン大聖堂には当然敵わないものの、こちらも見事に18世紀に建てられたバロック様式の教会。何とパイプオルガンのリサイタルが毎日開かれています。時間的な都合で行く事は叶いませんでしたが、教会でのパイプオルガンのリサイタルは想像するだに素晴らしいと思いますね。

宿に到着。

ジンガー通りを抜けた先にある宿へ宿泊する事にしました。ここからなら徒歩圏内で色々と見て回れるからです。

Singerstrasse 21/25 Apartments

お値段も高くなく、それでいて部屋は広い上に何と朝食付き!オーストリアはユーロなので物価高が酷く、ちょっとお店で食べると3,000円位はいってしまうのでありがたい限り。24時間スタッフが常駐してくれるのもありがたいです。

もしレンタカーでこの辺りを回るなら気をつけましょう。10分に1度くらいは警察官が見回りに来ますし、場所次第では速攻レッカーが来ます。ここから徒歩650mほどの所にかなり安い立体駐車場があるので、こちらを利用するといいでしょう。ちなみにこのホテルでも駐車場はありますが、1日40ユーロです。

夜はオーストリア料理

ホテルを背にして左手方向に歩いていくと、オーストリア料理屋が数件並んでいます。ここはどこで食べても美味しいのでオススメ。1皿2000円程ですが、量が凄まじいので1品で大丈夫です。あとはオーストリアビールと共に流し込めば最高の1日のシメになりますね。

写真はTiroler Groestl (チローラーグレーステル)、じゃがいもとベーコンとソーセージをバターと胡椒で味付け。最後にバジルを乗せて完成です。これがビールとめちゃくちゃ合うんです…

夜の街を徘徊

※ これは大広場とか人通りの多い所以外はオススメしません。

自分は夜型の人間という事もあり、どの街でも深夜くらいに近くを徘徊する癖があります。その街の雰囲気を知るにはもっとも良いのですが、犯罪等を考えるとオススメしません。世界中大半の街の治安は、日本より良くはありませんから。

ただ、夜じゃないと見えない姿がある事も事実

夜景の綺麗な街はレンタカーやタクシー等で見て回る事をオススメしたいですね。この日はシュテファン大聖堂近くをうろうろしました。店は大体22時くらいまでやっています。バーなんかは0時くらいまででしたね。大聖堂前では楽器を持ち込んだリサイタルみたいなものがやっていて、とても賑やかでした。こういう雰囲気、大好きです。

帰り道、ジンガー通りを戻ったのですが、大聖堂から離れるにつれてシャッターや潰れたお店が沢山並んでいました。こういう廃墟に近い所はゾクゾクします。こういった場所に、コロナ禍の爪痕がしっかりと残っていたのがとても印象的でした。華やかに見え、人通りも戻り活気が溢れている所はまだまだ僅かであり、今もまだコロナ禍の影響、そしてロシア・ウクライナ戦争による燃料高、物価高の影響を肌で感じました。

ちなみにオーストリアのガソリン代はレギュラーで1L 230円程でした。

まだまだ旅行記は続きます。

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